今日は何もできなかった。
そう思いながらソファに倒れ込む夜がある。
仕事も中途半端、食事の準備も面倒くさい。
気がつけばもう夜。今日も私はダメだったなとつぶやく。
20代や30代の頃は、無理をすれば何とかなった。
でも40代になると、無理が翌日に残る。
だから最近は、がんばれない夜を責めないようにしている。
これは私が実践している、がんばれない夜の過ごし方です。
きれいごとはありません。
小さな習慣と割り切りで、なんとか回復してきた方法です。
予定表は見ない。
これは鉄則にしている。
Googleカレンダーも手帳も開かない。
見たところで「やるはずだったこと」が並んでいるだけ。
自分を責める材料を、自分で読み込んでしまうだけになる。
私はスマホのカレンダーアプリを、がんばれなかった日は開かない。
リマインダーもオフにする。
「今日はここで打ち止め」と決めて、潔く予定を閉じる。
そうすると、頭の中のノイズが少し減る。
それでも不安なときは、「明日はやる気が出る日」と仮定する。
先のことを約束しなくていい。今日だけ、考えない。
夕食は買って済ませる。
つくる気力がないなら、買うと決めている。
私はよく、セブンの野菜スープとおにぎりで済ませる。
味噌汁はインスタント。洗い物をしなくて済む器を選ぶ。
お菓子を夕食代わりにした日もあった。
栄養よりも、自分をこれ以上消耗させないことを優先する。
「ちゃんと食べるべき」という考えは、元気な日にだけ採用する。
今日は食べただけで合格。それでいい。
人とのやりとりを切る。
LINEもSNSも見ない。がんばれない日は、人の元気がしんどく感じられる。
まぶしく見えて、自分をもっと責めてしまうからだ。
スマホは手放せない。でも使い方を変える。
私は、冷蔵庫の掃除動画や、何も考えず見られる料理動画を見る。
本も、読書というより、言葉のシャワーとしてエッセイを流し読みする。
誰とも関わらず、自分を傷つけずに過ごせる時間をつくる。
お風呂に入れない日は、顔と足だけ洗う。
潔くシャワーはあきらめる。
顔を洗って、温かいタオルで首や耳を拭く。
それで十分と決めている。
最低限のケアができれば、今日の自分は合格。
「何もできなかった日」ではなく、「自分を見捨てなかった日」になる。
少しでも体を切り替えられると、心も少し動く。
夜は片づけない。
洗濯物が出しっぱなしでもいい。
シンクに洗い物が残っていても、片づけずに寝る。
明日の朝やればいい。それだけの話だ。
がんばれなかった日には、他のことを減らす。
やらないことで自分を守る。
「無理しない」はだらしなさではなく、戦略だと思っている。
できることをひとつだけやる。
何もかも投げ出したくなる夜こそ、小さなタスクをひとつだけやる。
私はよく、ゴミをまとめるか、薬を飲むだけにしている。
それだけで、「ゼロじゃなかった」と思える。
ゼロじゃない日は、立て直せる。
がんばれない夜こそ、未来の自分の足元になる。
おわりに。
回復は、大きな目標より小さな選択から始まる。
予定を閉じて、食事を買って、人との距離を置く。
顔を洗い、布団に入って、「今日はここで終わり」と決める。
それだけで、次の日に進む力が少しだけ戻ってくる。
今日はがんばれなかった。
でも、自分を否定せずに終われた。
その実感が、明日への助走になる。