わたしの中が静かに変わりはじめたときの話

言葉にしにくい「変化」を感じはじめたとき

40代になると、なんとなく感じる体の変化や心の揺れ。その中でも「体」にまつわる違和感は、とてもデリケートで、人にはなかなか話せないことかもしれません。若い頃には感じなかった戸惑いや、自分の中に芽生える不安。それを誰かと共有する場がなくて、ひとり抱えてしまう方も多いのではないでしょうか。

体についての話は、世間ではオープンになってきたと言われていますが、それでも現実の暮らしの中で堂々と語れる話題ではありません。特に、40代という節目の年齢は、体の変化が少しずつ表れてくる時期。女性ホルモンのバランスが崩れ始めることで、元気の変化、感度の変化、そしてパートナーとの関係性にも影響が出てきます。

変化に戸惑うわたしを責めないで

中には、元気そのものが減ってきたと感じる方もいれば、逆に今までよりも敏感になったように感じる方もいます。そのどちらも、間違いではありません。大切なのは「正しさ」ではなく、「自分がどう感じているか」に目を向けることです。

たとえば、以前は心地よかったことが、なぜか楽しめなくなっている。そんなときに「どうして私は変わってしまったんだろう」と、自分を責めてしまうことがあります。でも、本当は変わっているのではなくて、「深くなっている」のかもしれません。体の反応や心の声が、これまでよりも繊細に、そして丁寧に感じ取れるようになっているとも言えます。

パートナーとの距離感が変わってきたら

パートナーとの関係についても、同じです。長年一緒にいる相手に対して、なんとなく「体」の距離感がつかめなくなることもあります。触れられるのが気まずく感じたり、逆にさびしくなったり。そんな時こそ、正直な気持ちを伝えることが大切です。とはいえ、言葉にするのがむずかしいからこそ、まずは自分自身が「どうされたいのか」「どうしたいのか」を確かめてみる時間が必要です。

心と体のつながりそのものです。だからこそ、どちらか一方だけをケアしてもうまく整わないこともあります。体を労わること、心をやさしく扱うこと。その両方がそろってこそ、自分らしいバランスが保てるのだと思います。

わたしのためにフェムケアを選ぶということ

セルフケアのひとつとして、フェムケアアイテムを取り入れる人も増えています。デリケートゾーンの専用ソープや保湿アイテムなどは、ただ使うだけでなく「わたしを大事にしている時間」を実感させてくれるもの。少し贅沢かなと思うようなアイテムでも、自分の気分が上がるのであれば、その感覚を信じていいのだと思います。

また、体についての悩みをひとりで抱え込まないことも大切です。医師に相談するのは少しハードルが高くても、信頼できる友人にぽろっと打ち明けてみるだけで、心がふっと軽くなることもあります。案外、同じような思いを抱えていたとわかって安心したという声も多いのです。

体を「育てるもの」として考えてみる

体の悩みは、「隠すもの」として捉えられがちですが、本当は「育てていくもの」だと私は思います。年齢を重ねるほどに、体のことをよく知るようになり、自分の感覚も豊かになっていきます。焦らず、ゆっくり、自分にとって心地よいあり方を見つけていく。そのプロセスこそが、40代からの魅力なのかもしれません。

ひとりの時間の中で、自分にやさしく触れてみることも大切です。セルフプレジャーという言葉が少しずつ浸透してきた今、自分の手で自分を癒すという考え方は、恥ずかしいものではなくなってきています。自分で自分を大切にできる人は、誰かに対してもやさしくなれる。これは、体に限らず、すべての人間関係に通じることかもしれません。

わたしのリズムで、わたしの体と向き合っていく

夜、眠る前のほんの数分でもかまいません。あたたかい飲み物を片手に、今日の自分をふり返ってみてください。体の疲れ具合、気持ちのゆらぎ、ちょっとした違和感。それらを「無視しない」というだけで、自分との信頼関係が少しずつ築かれていきます。

体という言葉に、恥ずかしさや照れくささを感じるのは当然です。でも、自分の内側で起きている変化に素直になってみると、意外と心が軽くなるものです。そして、その変化を受け入れることができたとき、性はもっと自由で、あたたかいものに変わっていくのだと思います。

体にまつわる話は、誰かと比べるものではありません。誰かの経験談やSNSの情報に振り回されて、「私だけがおかしいのかな」と不安になることもあるかもしれません。でも、他人の物差しで自分を測る必要はありません。あなたの感じ方や欲求には、あなた自身の人生の積み重ねがあります。

そして何より、体は年齢とともに「枯れていくもの」ではなく、「深まっていくもの」です。そこに焦りや恥ずかしさを感じる必要はまったくありません。自分の内側の声に耳を澄ませて、静かに、ゆっくりと歩いていく。それだけで充分なのです。